キャンパーの秘密基地

No guts no glory

もしかするとこの世は「勇気」を試す場所なのかもしれない?

最近そいう思いが、チラチラし始めた。

選択、決断、行動 (そんなのは幻想で、実は全て決まっているとか言う説もあるけど…)

何か事を起こす時、どれだけの勇気を出せるのか?

そして、その時の結果がどうであれ、最終的にはその勇気の大きさに即したものが得られている。

様な気がする。

自己啓発、スピリチュアル、セルフマネージメント的な本や動画など、いろいろな情報を貪って来たが最終的なところ、

この「勇気」を出して飛んでみましょう!

って事に行きつくような気がする。(アプローチは違うけどね)

飛ぶって言っても、鳥の様に飛ぶ事じゃなくて、、、溝とか、桟橋から船へとか、バンジージャンプもかな?(´・Д・)

あっ私がよく思い浮かべるのが、映画マトリックスのジャンプ プログラムってわかりますかねぇ~?

映画を見ていない人のために説明しますと、(※ほとんどの人は見たことあると思うのですが、念のため(^^; )この「マトリックス」と映画内で呼ばれているものは、完全にコンピューターで作られた仮想空間で、全人類がこの仮想空間を現実と思って暮らしており、本当の肉体は一か所に集められ機械に繋がれている。
(この辺、仏教(禅?)とか悟りとかのスピリチュアルな人達が、現実に近い!って主張してらっしゃる部分)
マトリックスは仮想空間なので、目に見えてるものも、触れるものも、全てが現実には存在せず、脳に直接信号として送られているだけ!というのがこの話の世界観です。

で、この話の中で主人公のネオはマトリックスの世界を抜け現実の世界に戻され、現実の世界の人々に幻想世界でのルールを教わるシーンの一つにジャンププログラムがあるのですが、要するに主人公がありえない高さのビルとビルとの間のありえない距離をジャンプしろ!って言われるプログラムです。このプログラムはマトリックスが幻想の世界(コンピュータープログラムで作られた世界)なのだから、やりようによってはそのプログラムの根本原理をゆがめる事も出来きて、このビルとビルの間だって飛べちゃう!という事を体験させるプログラムで、重力の設定もプログラムを書き換える(劇中では精神を解き放て!とか言ってますが・・・)事でどうにでも変えられるって事なんでしょう。

この辺は、悟り系スピリチュアルな人たちや引き寄せ系の人たちがいう深層心理的に「出来る」いや「すでに出来ている」と確信する事が大切とか言っている部分に近いのかなぁ~とかも思いますが、それが出来てない主人公は「出来る、出来る、心を解き放つ!」と言いながら、案の定落ちます。まだ、プログラムに影響するほど心が解き放たれていなかったって事でしょう。(まっ最初から本人のプログラムを書き換えて、マトリックスに入ればいいような・・・ってツッコミはあるけど、)

動画あった↓




とにかくですよ!(長くなってしまいましたが・・・)

このジャンプ プログラム的な場面が実際の生活でも結構あるような気がするんですよ!

たとえば、小さい所で言うと、よく知らない人に挨拶をするとか、困っている人に声をかけるとか、気になっている異性に話しかけるとか、「どうしよう!?」って一旦止まってからの、GO!するとき。

小さい(狭い溝)ですが、ジャンプしてますよね?(なんとなくニュアンスで)

他にも、就職の面接や恋愛、結婚、起業、投資、ギャンブルは、、少しちがうか?(^^; など、ここぞ!という場面でだいたいジャンプしてませんか?

そして、そのジャンプ幅が自分にとってどのくらい遠いかによって、着地した時の気持ちよさ度合が上がってるような気がしません?

中には「私はジャンプなんてしない。確実に橋を架けてから渡る」って人もいると思いますが、そういう人達の成功秘話みたいなのを聞いていると、事実はすごいと思うのですがただの自慢話にしか聞こえなかったりするー スミマセン(^^;

極端に言うと、この人本当に人生楽しいんだろか?っていつも思わされるのは俺だけ?(^^;

まっ、どちらが正しいとかじゃないんですけど、これまでの私の見解では

常にジャンプしている人 = 楽しそう

うまくいってなくても楽しそうって言うか、実際楽しい!

確実に勝つとか儲けるとかだと、橋を架ける系の人が強いんでしょうけどねぇ~

実は若い時の自分は橋を架けるタイプの人間でした。その時の私は会議などで、ジャンプ的な案を出す部下に

「確実に届くのか?」「落ちた時のリスクヘッジは出来ているのか?」「そもそもそっちに飛んで大丈夫か?根拠は?」

といったツッコミばかり言うやつで、取りつく島もあったもんじゃない!

その当時の私の口癖と言えば、

「俺は負ける可能性のある戦(いくさ)はしない!」

だって!

あーーー面白くね~ (ノД`)ノヒャー




で、勇気の話に戻すと、結局のところ

いや

そうだよ!

落ちたとしても、そのチャレンジしたこと自体が、後になっておもろ話にもなるし、やったった感になって、そしてこれが実に爽快なのですよね~!!

私が学生の時、ずーと片思いしていた人に思い切って告白した日、もう全力尽くしたんだから成就しようがしまいがどっちでもいい!と言う爽快感を感じたことがあります。もちろんフラれましたが(^^; あっもっと子供頃、近所のガキ大将と喧嘩になり絶対かなわないって解っているのにやぶれかぶれで立ち向かって、案の定ぶっ飛ばされてボコボコにされたけど、なんだか爽快な気分で帰った記憶とか思い出すと・・・

あっ、あの瞬間飛んでたなぁ~(落ちたけど・・・)

何かを得たり成功した時はもちろん高揚感はあるけど、その前提には常に不安や恐怖、しんどい、めんどくさい、などの負の要素がないとダメなんじゃないだろうか?

通常飛べる距離を飛んだ所で、どーって事ないですもんね

ん? これは、、、SMプレー か!? ∑(゚ω゚ノ)ノ




世の中には、「幸せの~」とか「何もしなくても願望が・・・」とか言う本とかセミナーとかいっぱいあるけど・・・

結局幸せって、勇気を出して取に行くもので、ガッツなしでスマートに幸せになる・・・って

ありえねーんじゃね?(; ̄Д ̄) (存在しないんじゃない?)

って思うに至ったわけです。

優しい言葉には癒されるし、気持も楽になる。

俺も本当に助けられました。

そして、それらの柔らかい所だけに光を当てた状態。幸せ~(இдஇ; )




いいんですよ!

その方が確実に幸せを感じれる場合が多いと思う。

でも、何だかゴールのないサッカーをして居る様な、、、ボール回しするだけでシュートなんてしなーい。
みんなにボール渡る様にねー╰(*´︶`*)╯♡  45分間、楽しんで行こうねー って感じ?

敵を掻い潜ってシュートを打って止められて、またシュートして止められて、、、
時々めっちゃピンチになったり、審判のジャッジにイライラしたり、
45分間トライを続け、ロスタイムに待望のゴーール!
ヤッター♪───O(≧∇≦)O────♪

何だか、この方が人生楽しいんじゃないかなぁ〜

でも、まぁ、人はそれぞれ

サッカーを楽しむ人も居れば、ゆったりピクニック気分で過ごす人も居る。

要は、エキサイティングとゆるふわを行ったり来たりするもんなんじゃないのかなぁ〜

どちらか一方ではなく、どちらも無いと人生つまんない!

エキサイティングばかりだと疲れちゃうし、ゆるふわばかりだとチョット退屈。

そして、勇気を出して飛んだ時に栄光が待っていて、ゆるふわな時に安らぎが得られる。

当たり前か(´・Д・)」




ま、だんだん何が言いたいのかわからなくなって来たので、この辺にしときますが、

通常ゆるふわな私が、最近エキサイティングを求める様になったって事かな?

チョット近いうち飛べそうにない溝見つけて、助走つけて飛んでみますかぁ〜(╹◡╹)

とりあえず、今日はこんな感じ。

相変わらずいっぱい書きすぎるなぁ〜 疲れる(*´◒`*)

今後は短く簡潔に!を心がけよう・・・




タイトルの「NO GUTS  NO GLORY」は、敬愛するロバート・デ・ニーロとビル・マーレーが出ている映画で「恋に落ちたら(Maddog and Glory)」で、おせっかいな同僚役のデヴィッド・カルーソがダイナーで御節介なケンカをした後言うんです。

No guts no glory right! 😉

そのシーンの感じがバカっぽくていいですが、勇気の事を考えているとそのセリフが心にフッとよぎったので、タイトルにしてみました。